#66  想い出の『青森ヒバ』と太宰治生誕の地を訪ねて
青森の旅|我が家の材木『青森ヒバ』の故郷を訪ねる旅
- 想い出の『青森ヒバ』と太宰治生誕の地を訪ねて
33年を超えて初対面した、想い出深い人物と感動の語らい。
- 兼ねてより訪問したいと思っていた青森県へ旅立ちました。
- およそ33年前、NHKの番組で青森ヒバの素晴らしさを知り、青森県庁に入手先を尋ねて絞り込んだ仕入れ元、それが工藤林業さんでした。当時、いきなり電話で『青森ヒバで自宅を建てたいので仕入れたい』と申し入れたところ、大変驚いておられましたが、快く応じて下さいました。ところが、こちらの建設業者が扱った事が無いと尻ごみを始めたものですから、業者を青森の地へ送り込んだのです。
九州の棟梁が惚れ込んでしまった『青森ヒバ』東北の地へ向かった棟梁は、青森駅で工藤社長と待ち合わせ、材木の育成現場へ足を運び、建材としての説明を受け、その優秀さに惚れ込んで戻って来ました、材木の調達には工藤社長が力になってくれ、後日、荒く製材された青森ヒバが小高く盛られたトレーラーが到着した時は、感動を覚えたものです。
それから33年後、青森旅行を思い立ちました。忘れられない青森ヒバの思い出が、足を運ばせたのは間違いありません、しかし、林業がどれほど苦境に立たされているか熟知している私は、現地でそっと「工藤林業」を探しました。
『スパウッド観光ホテル』工藤林業(株)ホテルを探していた時の事です、工藤林業の社名と共に飛び込んで来た『観光ホテル』すぐに宿泊先に決めました。翌朝、フロントの若い男性(現社長でした) に33年前の話をしたところ、何と工藤社長が奥から出て来られたではありませんか!私たちは初対面でしたが、後にも先にも個人宅として青森ヒバを卸した例は無いそうで、覚えておられ、当時の積もる話を交わしました。
工藤林業さんは現在バイオ燃料関連会社林業も廃れて来た中、上水道の普及で仕事が減ったボーリング業社に助けを求められ、温泉を掘らせたところ、大当たりし、この地に温泉ホテルを立てたのだそうで、現在はバイオマス発電の関連事業として活躍されていました。その徳のある人格が多くの人を助け、助けられ、今に至っている事を感じます。
立派な青森ヒバが使われている太宰治の生家にも行って来ました。青森ヒバを贅沢に使われた太宰治記念館「斜陽館」。当時の富の象徴であり、父は政治家、太宰は6男として生まれ、乳母に育てられたと言います。