中津市ー慶応大学創設者『福沢諭吉』の旧邸
- 中津藩士、咸臨丸で米国へ渡る。
- 福澤諭吉は大阪で誕生(1835)し、1歳で母の実家中津に帰郷しました。慶應義塾大学の創設者であり伝染病研究所(現:東京大学医科学研究所)や土筆ヶ岡養生園(現:東京大学医科学研究所附属病院)の創設にも尽力しています。また長崎でオランダ語を学び、後に英語学習へ。咸臨丸での渡米では通訳(ジョン万次郎)と共に現地で『ウェブスター大辞書』を購入して英語教育へ活用しました。
- 新時代のキーマンのひとり
- 諭吉は奥平家(蘭学者:中津藩主)や前野良沢(蘭学医:『解体新書』を翻訳)、小幡篤次郎(『学問のススメ』共著者)、増田宗太郎(諭吉の再従兄弟)など歴史的面々と中津で接点があり、新時代のキーマンとなりました。
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[作成]2020年06月04日